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両大戦間期(1920~1940)とは


ジョゼフィン・ベーカーが「私には二人の恋人がいる。それは祖国とパリだ」と歌ったように、両大戦間期、人々はパリを愛してやみませんでした。いくつもの異なった顔をもち、異邦人たちを魅了したパリは、狂乱の時代を照らす光であり、モード、アート、舞台芸術において、世界中の注目の的だったのです。フォリー・ベルジェールで1930年4月にかかったレビュー「狂乱の一撃(Un coup de folie)」の最終場のために、ジグが描いたパリの地図はまさしく、当時のパリそのものです。 (写真)
今日でこそ、ここに載っている当時のランドマークを記憶する人はほとんどいないでしょう。しかしどれもかつては、誰もが知る場所でした。それなしには、あるいはそこを使うことなしには、当時の人々の日常はなかったのです
たとえば、次のような場所が挙げられます。

Les music-halls
カジノ・ド・パリ7とフォリー・ベルジェール8は、ふつうの劇場へと姿を変え、レビューの劇場という伝統は断たれます。両大戦間期のスペクタクルといえばまずもってレビューでした。劇場という劇場のほとんどが、たとえ古典時代からの歴史ある劇場であろうとも、少なからずレビュー的なものの上演と無関係ではありませんでした。むしろ、独自のレビュー作品を作ることは各劇場にとってある種の義務でさえあったと言えます。あの頃のレビューなくしては、アメリカのミュージカルは現在の姿にはなっていなかったことでしょう。舞台芸術の一ジャンルが、ここまでの人気を博した時代は他にありません。20年間ほどの限られたひと時代ではありましたが、その記憶は人々の心に刻みこまれました。実際、ミスタンゲット、ジョゼフィン・ベーカー、モーリス・シュヴァリエの名を聞いたことのない人がいるでしょうか。レビューの制作にかかわったアーティスト、音楽家、挿絵画家、舞台装置家、衣装デザイナー、舞台技術者などはあまりにも多すぎて、一覧にまとめるとしたら大変な労力が必要です。観客はひきもきらず、誰もが新作レビューに我先にと足を運びました。地位のある人から労働者まで、パリのレビューは誰からも愛されました。みな舞台を楽しみ、舞台効果に驚嘆し、衣裳の素晴らしさに熱狂しました。観劇で心を和ませ、日常をひと時だけ忘れました。第二次世界大戦の勃発は、それ自体レビュー衰退の主たる原因ではなかったものの、やはり戦争を契機に、レビューは狂乱の時代もろとも過去のものとなっていきました。

 今日私たちの目からみれば、1930年代のパリはもはや過去のものです。けれどもそのパリがいかに楽しい場所だったことか!
当時のパリは経済の中心であり、カルチャーありスポーツありと、そこにないものはありませんでした。人々は、予約なしで劇場に飛び込んだり、夜は踊りに行ったり、プロでもないのに人に歌を聞かせたり、縁日で羽目を外したり、スポーツを楽しんだり、カフェのテラスで芸術家たちと出会えたり、夜更けの帰り道に商品のばらしでごった返す市場をひやかしたりしました。仕事も簡単に見つかった時代でした。
みな親切でしたし、気楽でのん気で、人生を謳歌していました。終わったばかりの戦争のことなど忘れていましたし、次の戦争の足音もまだ聞こえていなかった頃でした。


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